市川市動植物園のサル山で、ひときわ目を引く光景があります。ほかの子ザルより一回り小さなパンチくんが、自分よりも一回り大きな茶色のぬいぐるみ「オランママ」を抱きしめ、引きずって歩く姿です。このオランママは、飼育員の人工哺育で育ったパンチくんにとって、おもちゃを超えた「生命線」とも言える役割を果たしてきました。
子ザルに不可欠な「しがみつく」という本能
ニホンザルの赤ちゃんは、2歳になるころまで母親の体に密着して過ごします。この「しがみつく」行為は、外敵から身を守ると同時に、精神的な安定を得るためと言われています。
母親の育児放棄により飼育員の手で育てられることになったパンチくんに、安永崇課長をはじめとする飼育チームは、母親の代わりとなる「しがみつけるもの」を探しました。タオルなどさまざまな素材を持たせてみた結果、パンチくんが一番気に入ったのが、あのお馴染みのオランウータンのぬいぐるみだったのです。

特に同じサルだからという理由でオランママが選ばれたわけではなさそうですが、偶然にしてもパンチくんとは見た目の相性も抜群。パンチくんとオランママとのコンビは、SNSを中心に世界中に広まることになったのです。
先輩「オトメ」が示した自立の軌跡
実は市川市動植物園には、パンチくんと同じように人工哺育で育ったサルが複数います。そのうちの1頭、同様に育児放棄され飼育員の手で育てられた「オトメ」もまた、幼少期は子ザルより一回り大きなクマのぬいぐるみにしがみついて育ちました。

その後、オトメは飼育員の懸命な努力もあって、見事、群れ入りを果たし、やがて、自分の手で子供を育て、今では孫を持つ立派な「おばあちゃん」となっています。パンチくんがオランママにしがみつく姿は、かつてのオトメが辿った、命を繋ぐための必死なプロセスなのです。
群れの中の「異物」から、少しずつの受容へ
しかし、社会階層を持つサルの群れにとって、ぬいぐるみを抱えた子ザルは当初「異様な光景」として映ったようです。ほかのサルたちが得体の知れない子ザルとぬいぐるみを警戒し、パンチくんとの距離が縮まりにくい時期もありました。オトメも群れ入り当初、そのようなことがあったようです。
現在では少しずつ周囲も慣れ、パンチくんがオランママと過ごす時間は減少傾向にあります。それでも、群れの中で年上の個体に叱られた際など、強いストレスを感じた時には、今でも一目散にオランママの元へと戻ります。こげ茶のパンチくんと赤茶色のオランママのコントラストが印象的ですが、パンチくんにとって今なお「最後の安全基地」なのでしょう。
ファンとしては、このかわいい姿をいつまでも見ていたいという心境になりますが、飼育スタッフの願いは「パンチくんがぬいぐるみから卒業し、サルの社会の一員として自立すること」です。オランママとの「お別れ」の日が近づくことは、パンチくんが本当の強さを手に入れた証でもあるのです。
ライターコメント
市川市動植物園の安永課長によれば、パンチくんはオランママをサルのぬいぐるみとは認識しておらず、手触りや大きさなどの相性で選んだのではないかということでした。それにしても、オランママがサルという点がファンとしてはたまらないんですよね。オランママからの卒業は寂しいけれど、でもその日が来たら拍手を送りたいと思います。
<ライタープロフィル>ゆんち
2004年に産経新聞社へ入社。静岡、仙台での事件取材を経て、東京社会部では厚生労働省を担当、派遣労働問題などの社会課題を深く掘り下げる。また、特異なキャリアとして法廷画家を兼務し、数多くの法廷画を手掛けてきた。その後、産経新聞社が発行していたタブロイド紙「SANKEI EX」にてブランド、旅、食をテーマとした執筆活動を展開。南アフリカやオーストラリアなど世界各国を取材で巡るほか、臨時特派員として南太平洋のキリバス共和国への駐在経験も持つ。J-WAVE「TOKYO MORNING RADIO」にて、週1回おすすめニュースを3年間にわたり担当。
現在は2児の母となり、これまでの取材経験に加え、教育、健康、ライフハックへと関心の幅を広げている。「趣味を仕事に!」をモットーとする自称「脱力系ライター」。釣り、温泉、グルメ、そして海を眺めてぼーっと過ごす時間を愛する旅人でもある。長年、酒と旅と釣りを友としてきたが、現在は期間限定で禁酒中。新商品から旅、ファッション、グルメまで、自身のアンテナに触れたトピックを独自の視点で発信している。






