茨城県立歴史館(水戸市)で開催中の企画展「出産と育児のあれこれ」が、なかなか衝撃的な内容になっています!
江戸時代から現代まで、出産と育児がどう変わってきたのか
絵や文書、写真など95点の展示品から、いつの時代も子供は宝だったこと、そして時代とともに国の関わり方が変わっていった様子が見えてきます。
11月24日まで開催中。歴史の教科書には載ってない、リアルな子育ての歴史を体感することができます!
江戸時代「間引き禁止」!!!
江戸時代後半、北関東や東北では人口減少が深刻な問題でした。
当時、貧しさなどの理由で子供を育てられない家庭が、生まれた子の命を絶つ「間引き(まびき)」という行為がありました。本来は農作物の芽を減らして良い作物を育てる意味ですが、人間の子供に対しても使われていた言葉です。
茨城県内の諸藩は、この「間引き」を禁止する政策を強化します。
その象徴として展示されているのが「間引き絵馬」。

母親が表情をゆがめながら子供の口をふさぐ様子が描かれ、障子に映った母親の影には「ツノ」が描かれています。「これは許されない行為だ」と広く伝えるため、茨城県利根町にある徳満寺の参拝者の目に留まりやすい場所に置かれていたそうです。
厳しい現実ですが、当時の社会は「子供の命を守ろう」としていたことがわかります。
そして、藩も具体的な支援策を打っていました:
子育て支援としての報奨金給付制度
妊産婦の食生活の指針を記した文書を作成し、各戸へ配布
江戸時代にも「子育て支援」があったんです。
子供は地域の宝、藩の宝として、本気で守ろうとしていたんですね!
近代――個人から国家へ、子育ての担い手が変わっていく
時代が近代へ移ると、子供を大切にするという考え方は変わらないものの、その関わり方が変化していきます。
「産めよ殖やせよ」
このスローガンは、聞いたことがありますよね!そう、戦時中に国から発せられました。
出産と育児は個人や家族だけのものではなく、国家が積極的に関わるものになっていきました。
企画展では:
「妊産婦手帳」
「乳幼児体力手帳」
などが展示されており、国の施策によって育児が組織化されていった様子がわかります。
今の「母子手帳」の原型とも言えますが、当時は「国のために健康な子供を育てる」という目的が強かった。子供を大切にする、という根底は変わらないけれど、その主体が家族や地域から、国家へとシフトしていったようです。
古墳時代から続く「子育て」――埴輪も展示
さらに遡って、ひたちなか市の大平古墳群から出土した「乳飲み児を抱く埴輪」も展示されています。
古墳時代から、子育ての姿は変わらない。赤ちゃんを抱く姿、それは時代を超えた普遍的な愛情表現。

バランスが悪すぎて、かわいい!かわいすぎる!
江戸時代は地域や藩が子育てを支援。近代以降は国家が積極的に関与。そして現代は…?
茨城県立歴史館の広瀬昌子首席研究員は「自身の出産と育児の経験と照らし合わせて、展示を楽しんでいただきたい」と話しています。
展示を見ていると、いつの時代も子供は宝として大切にされてきたことがよくわかります。変わってきたのは、誰が、どう関わるか。個人や家族、地域、そして国家――子育ての担い手や関わり方が、時代とともに変化してきたことがわかりました。
開催情報
会期: 11月24日(日)まで
場所: 茨城県立歴史館(水戸市)
入館料: 一般390円、70歳以上200円、高校生以下無料
ライターコメント
江戸時代も近代も、根底に「子供は宝」という考え方があったんだと知って嬉しくなりました。いつの時代も子供は宝…でも、誰がどう支えるかは時代によって変わる。そういう視点で歴史を見ると、今の子育て支援のあり方についても考えさせられます。












